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SAMURAI (ぶろぐ)

左京亮の気まぐれ日記

楽●天
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2009年5月18日(月)

(1)で、神社にしては何かどこかが変わっていることにお気づきの方!!
貴方は素晴らしいです(^^)

伊予国来島、村上水軍の一族である来島長親1万4千石。
関ヶ原では西軍に属したがために、陸のど真ん中である
ここ豊後森に移されることとなってしまいました。
2代・通春の時に“来島”改め“久留島”としました。
末廣神社は伊予・三島宮を勧請したことにはじまります。
そして、8代・通嘉の時に末廣神社はお城仕立てとなります。
鳥居の向こうに見えた神社にはあるまじき石垣。
2つの御門はこのためだったのです。
因みに、先にご紹介した童話作家の久留島武彦は末裔です。


   
玉濃井


石垣

   
末廣神社


日本一大きな手水鉢

   
鎮西八郎射ぬきの石

   
鞘堂づくりの御神殿


何だろう?


中にはお馬さんがいらっしゃいました(^^)


角埋城跡

神社裏から角牟礼城へと登れます。
この時点で16時を過ぎておりましたので、今回は残念ながら断念。
またの機会に登城したいと思います。
とは言え、まだ明るいので少しだけ散策しました。


新緑がきれいです




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無題   菊千代  - 2009/11/25 12:51  |編集
( ̄ー ̄)      ふっ。。。。

(2)ときやがったか。。。



ヽ(`口´)/っっ  5がつじゅうはちにち、げつようびーーーっ!!
無題   左京亮  - 2009/11/25 13:02  |URL編集
◆◇菊千代さま◇◆

> ( ̄ー ̄)      ふっ。。。。
またもや鼻で笑われてしまった…。

> (2)ときやがったか。。。
だから、気長にお付き合いお願いします<(_ _*)>

> ヽ(`口´)/っっ
> 5がつじゅうはちにち、げつようびーーーっ!!
そうやっていじめないでくださ~い(>_<)
城に対する憧憬が…   東犀川三四郎  - 2009/11/25 14:31  |編集
森藩の末広神社、ちょっと登ってみると、「ここのどこが神社なんだ、まるっきりお城じゃないか!」と突っ込みたくなるような縄張りに気付きますよね。

この神社は、城を持つことが許されなかった森藩が、城に対する憧憬を滲ませながら、造ったものですが、対外的にはあくまで神社だと強弁していたようです。

まあ、この縄張りが完成したのが江戸時代も終わりに差し掛かるくらいの頃なので、幕府当局も薄々知りつつ、見てみぬふりをしていたのでしょうが、これが江戸初期あたりだったらえらいことになっていたでしょうね。

角埋城は途中まで車で行くことも出来たかと思いますので、次回には是非登頂なさるとよいかと思います。

晴れた日に登ると見晴らしは最高ですよ。

あと、城下の町並みも情緒がありますし、駅近くに戻ってみると、旧豊後森機関庫も圧巻ですよ。

私はもうひとつの趣味である鉄道廃線跡巡りで宮原線の跡を訪ねて参りました。

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