2009年1月28日(水)久留米藩21万石、有馬氏の久留米城を散策。
職場からはすぐそばです。(職場は藩の○○屋敷跡地です。実は以前に暴露済み。)
久留米城は別名を篠山城と呼ばれる平山城で、
九州一の大河・筑紫次郎(筑後川)を天然の堀とします。
豊臣秀吉の時代には、毛利秀包3万5千石。
江戸時代に入り、田中吉政が筑後一国32万5千石。
後に改易されて、丹波国福知山城主だった有馬豊氏が21万石で入り、
そのまま江戸時代を終えました。
因みに、有馬氏と言えば、競馬の有馬記念で有名ですね。
有馬頼寧氏の功績を称え、名付けられました。
駐車場は蜜柑丸という本丸腰曲輪跡。
道路の向こう側は久留米医大。 ドクターヘリがいました。
かつてはここもお城だったはず。
堀を兼ねた筑後川。
向こうにはJR九州の特急列車が駆け抜けます。
更に向こうには建設中の九州新幹線の高架が見えます。
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