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SAMURAI (ぶろぐ)

左京亮の気まぐれ日記

楽●天
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5月27日、愛馬・パジェロミニに“池月”(いけづき)と名を付けました。
最初はシルバー+池月で銀月(ぎんげつ)にしようかとも思いましたが、
やはり史実に則って池月にしました。

池月…かわいそうに母馬は池に落ちて溺死してしまいます。
   ある日、子馬は母馬の姿を見つけ池に飛び込みます。
   すると、母の姿は消えてなくなってしまいました。
   子馬は何度も何度も池に飛び込みました。
   でも、やっぱり母は消えてしまいます。
   母を慕って飛び込んだ子馬ですが、
   実は、母だと思っていたのは月明かりの池に映る
   自分の姿だったのです。
   こうして、池月と名付けられ水を恐れない馬に成長しました。
   後に、宇治川の戦いで梶原源太景季との先陣争いに勝った
   佐々木四郎高綱が騎乗していたのがこの池月です。

私の生まれ育った町には名馬“池月”のお墓があります。

   
2008.11.05(WED)

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今日、5月27日は私の大切な君の誕生日。

北海道生まれの君に出会ったのは2000年8月だったね。
君の温かさ、君の背中の大きさを感じた幸せな毎日でした。
私にとって君は子供であり、また恋人でもありました。
多分、なかなかの凸凹コンビだったことだと思います。
君に足を踏まれた時の痛さと言ったら…
あまりの痛さに私はピョンピョン飛び跳ねてしまいました。
漫画のようなその光景に、君はそれを見てただ驚いていました。
君が素直に甘えて来た時、私は逃げました。 ごめんなさい。
私は君を好きで好きでたまらなかったけれど、
何度かまともに食らった君の頬ずりはそれはそれは痛かった。
私が風邪を引いて熱を出した時、
いつもやんちゃで私を手こずらせた君はその日だけは優しかった。
君が脚を故障した同じ時期、原因不明ですが私も足を痛めました。
もしかして私たち一身同体だったのかな?

君と別れてしばらくしたある日、私は君に会いに行きました。
憶えてくれていたようで私はとても嬉しかったです。
でも、物言わぬ君は「なんで僕を捨てたの?」
「また明日、僕は走らなくちゃいけないの?」と問いかけるような
悲しい眼差しだったように思うのは私の気のせい?
今となっては言い訳にしかならないけれど、
私は腱鞘炎で茶碗を持つのも苦しいぐらいだった。
そんな私は君のためにそばにいるのが難しかった。
また、君が頑張るのは、人のために他ならない。
でも、君が生きている証でもあった。
それから仕事が休みの時は可能なかぎり君の応援に出掛けました。

私がお金持ちだったら…君と一緒にずっと暮らせたかもしれない。
君が私の前を去った後、私は君の行方をさがしてみました。
でも、それ以上さがしてはいけないような気がして、
すぐにさがすのをやめにしました。
そんな栗色の鬣が美しい貴方は今はどうしているのでしょう?



君が生まれて10年以上が経ちました。
人間の年に換算すると今流行の言葉を拝借すればアラ50?
いつの間にか君は私を追い越してオジサンですね。
私が5月27日を忘れないかぎり、
喜び・怒り・哀しみ・楽しみ…
思い出と共に君は私の中で永遠に生き続けると信じています。
実は、私が左京亮と名乗り始めたのも7年前の今日なのです。
君のような温かい存在にはなり得ないけれど、
5月27日、この大切な日にパジェロミニに愛称を付けようと思います。

命名“池月”


今日は後半ちょっとシリアスになってしまいましたm(__)m
気を取り直して、名前の由来はまた今度(^_-)

P.S.
テンプレートデザインを変更しました。
お花があまり似合わない左京亮です(^^ゞ
なのに、何故このデザインに決めたか…
↑一番上の渦巻き模様が気に入りました(笑)

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久々に更新!!



2009年2月11日(水)

納車日から約半年、ようやく走行距離が2345kmに達しました。



因みに、3月にETCを付け高速道路を使うようになったこと、
4月から通勤に使うようになったことで、
5月23日(土)5000kmを超えました。
残念ながら運転中だったので写真はありません。

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今から19年前の昨日…

1990年2月18日(日)、
当時12歳だった私は人生初のお受験をしました。(年がばれますね(^^ゞ)
算数が大の苦手だった私は国語・社会・理科で頑張りました。
そして、4月より某・女子中の第1期生として入学しました。
中学・高校、勉強しなかったなぁ(^_^;)
だから、こんな大人になってしまいました(笑)

で、カノンですが、パッフェルベルの「カノン」♪です。

私が小学生の頃、運動会の準備体操では毎年決まってカノンが使われていました。

中学1年生の合唱コンクールでカノンが原曲の「遠い日の歌」をメゾで歌いました。
でも、声変わりして低くなってしまったので(?)今だったらアルトしか歌えないかも?

先日、NHKの「熱中時間」(冬虫夏草に熱中する画家・大竹茂夫さんの回)で
やはりカノンが原曲らしい不思議な歌を耳にしました。

『月光の白き林で

 木の根掘れば蝉の蛹のいくつも出てきし

 ああ… 』


最近、このけったいな歌詞と奇妙な歌声が頭の中で流れて困ってます(^_^;)

あまりに気になるので“カノン” “月光の” “セミの”でさがしてみました。
すると、戸川純さんの「蛹化の女」♪という曲でした。
ムシノオンナ…これまたすごい名前だこと(笑)
子供の声かと思っておりましたが、実際には大人の女性でした(爆)

どういう曲かと申しますと…
   http://www.youtube.com/watch?v=QsJzwqRmrOs
あなたの頭の中にもムシノオンナが住み着くかも?(笑)

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2009年1月28日(水)



   

篠山神社にお参りすると、近くに小さな祠を見つけました。
毛利秀包公を祀った小早川神社でした。

   

巽櫓跡には、
『海の幸』の作者である洋画家・青木茂の碑。
久留米市出身には他に
 緒方春朔…筑前秋月藩の藩医。日本で初めて人痘種痘法に成功。
 田中久重…からくり儀右衛門。東芝の祖。
 真木保臣…真木和泉。久留米水天宮・宮司。尊皇攘夷派。
 井上伝…久留米絣の始祖。
最近の人物では
 スポーツでは、競輪の中野浩一。
 芸能人では、松田聖子・藤井フミヤ・田中麗奈
などなど。

   

本丸御殿跡の碑の横には鳥居。
この鳥居はブリヂストン奉納。
ブリヂストンは久留米市出身の石橋正二郎が創業。
社名は、石(ストーン)橋(ブリッジ)に由来。


大井戸


有馬記念館
入館料は大人 100円。


ここから眺める風景が一番お城らしいかな?
堀がわずかに残るばかり。 その堀も、鷺が立つことができる浅さです(^_^;)
櫓は全滅。 非常に残念です。

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