8月下旬。 事前に最寄整形外科に転院の手続きのことについて尋ねたら、
書類も何もいらないだろうというお話だった。
転院先の病院を決めあぐねていたが、
母の友人から「リハビリがある病院が良いよ。」というアドバイスを頂き、
マイミク土井丸さまや母の友人から教えて頂いた
自宅から3km程の隣町のK病院に移ることにした。
9月1日朝、その日休みだった私はK病院に電話。
やはり紹介状が必要らしい。
素人ながらにおかしいとは思っていたのだが、案の定だった。
だから書類の必要性を確認したのに!!
それまでどのような治療を受けてきたかも分からない氏素性の知れない
患者を診るはずがないのだ。
最寄整形外科に紹介状をお願いすると今日は無理だとのこと。
紹介状いらんって言っておいて、朝電話して今日は無理…。
我慢、我慢。 不満はあるが、そこはオトナな(?)左京亮
できるだけ早めにお願いしますと言って受話器を置いた。
午後、置き去りにしていた携帯に留守電が入っていることに気が付いた。
急ぎ最寄整形外科へ診断書をもらいに行く。
16時過ぎていたか? K病院へ。 ぎりぎりセーフ!!
F先生が紹介状を手に取られた。
すると…
F先生:「変わっとるねぇ。 整形外科から整形外科に転院ってどういうこと?」
私:「はぁ…交通事故は3ヶ月以上診ないと言われてしまいました。」
視力0.5の私の目にその内容は見えない。
しかし、紹介状という物を見たことがない私にも、その紹介状は滑稽に思えた
F先生:「なるほど。 事情は分かった。 でも、それも変わっとるねぇ。
それにしても…この字、大きいね(笑)
この先生はおじいちゃん?」
そう、あからさまに字が大きいのである。
私:「60歳ぐらい…かな?」
F先生:「私の方が大分若いね!
」
F先生:「事故前に首が痛かったこととか、
首が痛くて病院にかかったこととかある?」
私:「いいえ!! 全くないです。」キッパリ。整形外科にかかったことと言えば…学生時代の突き指や捻挫。
社会人になって、10年以上前に腱鞘炎。
コック修行を始めて足底腱膜炎。 そして、忘れもしない2月2日のぎっくり腰。
金欠で首が回らないことはあっても
(有り余るお金は無いけれど、なんだかんだ何とかなっている巳年な私)、
首を負傷したことがないことは自信をもって言える。
レントゲンを撮ると、やはり先天的骨格のことを指摘された。
「多分、このせいでダメージが大きかったんだと思うよ。」ゴムハンマーで脚気みたいな検査をされて、首や腕が回るか確認。
生まれつき首の可動範囲が狭いらしい。首や肩・背中をTシャツ越しに触診。
私:「痛っ!!」
F先生:「硬いねぇ。 左もだけど、右もカチコチ。」と驚かれてしまった。
その日は遅かったので、ロキソニン(鎮痛剤)、アランタSF(胃薬)、
メコバラミン(ビタミン剤)、チザニン(筋弛緩剤)、葛根湯、ロキソニンテープを頂いて帰宅。9月3日、リハビリ開始!!
ホットパック、低周波治療器、ウォーターベッドマッサージ、療法士さんのマッサージ。今までとは比べものにならない至れり尽くせりな治療に嬉しいながらも困惑
10月21日、K病院に通院しながら鍼灸院での治療開始。保険屋さんに相談すると、治療費は保険から払えるとのこと。
しかしながら、1月8日分をもって保険による鍼治療は終了。理由は、保険屋さんのミス。 F先生の許可が必要だったこと。
F先生に相談。
「駄目とは言わないけど…。 痛みが治まるのは数日じゃないかな?
根本的に痛みがなくなることはないよね?」とのお返事。
確かに…。 それでも、月に2~3度、痛みに耐えかねた日は自腹で通う。
11月、相手側保険屋(ケガ担当)さんから電話。
保険屋さん:「そろそろ半年になりますので、この辺りで症状固定→
後遺障害申請をお願いできませんでしょうか?」 私:「先生にお伺いしてみます。」
次の診察、保険打ち切りの件を先生に相談。
F先生:「いずれはそうしないといけないだろうけれど…。
うちに来て2ヶ月とちょっと。 まだ打ち切りは早いよ。
保険屋さんに病院に出てくるように言っておいて。
私が直接説明するから!!」
頼もしい
そして、F先生って熱血なのかもしれない(笑)
おかげさまで
もう少し治療を続けられることとなりました。 F先生:「保険屋さん、悪い人ではなかったよ。 良かったね。」
…そう言えば、葛根湯って前の病院でなんでもらってたの?」
私:「肩の血行を良くするためらしいです。」
F先生:「葛根湯って、知ってると思うけど風邪薬だよ。
長期間飲む物じゃないよ。 薬を変えよう!」
11月24日、葛根湯→芍薬甘草湯へ変更。[2回]