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SAMURAI (ぶろぐ)

左京亮の気まぐれ日記

楽●天
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年末から雪・雪・雪
年が明けて、後厄も明けて2011年。
やっぱり雪・雪・雪
元旦はお休みを頂いていた。
人との約束があったので朝からお出掛け
所々路面凍結気味。 2駆走行中、思わぬところでスリップ。
今年も私の駄洒落は滑るのか?(笑)
そして、1月2日は仕事始め。
またしてもツルツル。 諦めが早い私は無難に電車通勤
ここはどこ?→筑後国。 温暖化→何ソレ? …な寒々しい毎日が続く。

1月10日早退。 1月11日欠勤。
このところ、すこぶる調子が悪い。 左に加えて、右までもが痛む。
1月15日早退→12時を目前にK病院へ滑り込む。

基本的にF先生は痛み止めの注射はされない。
なので、すぐにどうなる訳でもないのは分かっていたけれど、それでも藁にも縋りたかった。
いや、語弊があるな。 F先生が藁だとは大変失礼な話である。
 私:「先生、痛くて早退してきてしまいました。
    ここ1週間ずっとこんな調子です。
    どうして今になってこんなに調子が悪くなったんでしょう?
 F先生:「事故後初めての冬。 そして、今年の冬は特別寒いもんねぇ。
      夏は夏で痛かったやろうけど、その痛みとはまた違うやろ?
      念のため近々もう1度MRIを撮ってみよう。」

先生、よく分かっていらっしゃる
なんだかその言葉だけですごく安心してしまった
 F先生:「あれ? もしかして熱あるんじゃない?
      看護婦さん、体温計!!」
いやいや、先生。 私、先生にはお熱ないですよ
ピピッピピッピピッピピッ!! 37.6℃
鈍感な左京亮は微熱があるのも知らずに仕事していたらしい
寒さに加え、微熱のせいで痛さが倍増していた模様。
炎症があるかを調べるために、血液検査と尿検査。
白血球像Neutの数値がかなり高くはなっていたが、一応正常範囲らしい。
点滴500mlが終わった頃には36.7度まで下がり、痛みも若干落ち着いた。
吹雪いていた雪も止んでいた。

1月18日、遅刻。 再度MRI→前回と変わらず、要経過観察。
1月19日、早退。
 遅刻・早退・欠勤…このところまともに仕事ができなくなっていた。

 こんな体調のまま働いていても迷惑な話だと思う。
 相当悩んだ挙句、クビになるかもしれないという覚悟の上とうとうシェフに相談。
  「予約伝票は気にしなくて良いから、しっかり休みなさい!!」との温かいお言葉
 しばらくの間お休みさせてもらうことになった。

翌日から寝込んでしまった。

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T脳神経外科で記念写真撮影後…違った。
MRI撮影後、再びK病院へと戻った左京亮。
実に1~2時間ぶりのF先生との再会。
F先生、会いたかったよ~!!…これも少々違うか。
確かに、左京亮はF先生ファン。 患者として主治医のF先生をお慕い申しております

冗談と一部の本音はさておき。
シャーカステン(レントゲン等の写真を見る時に使用する照明器具)に
照らし出されたホネホネな写真。
私の首…素人ながらに「上の方のあれは小脳かな?」とか、
生まれて初めて目にするMRI画像は白黒ながらに生々しいものだった
 F先生:「これ前に話してた生まれつきのものね。
      そのせいで事故も含めて日頃から負担がかかってたんだろうね。
      頚椎椎間板ヘルニアがある。」

いつもニコニコ。 時には冗談で左京亮をからかうF先生。
それらはきっと患者に不安を与えないための配慮なんだと思う。
そのF先生が数秒間沈黙してしまった
 F先生:「う~ん、気になるんだよねぇ。 脊髄のこの部分…。
      首には神経がいっぱいだから手術にはリスクが伴うし、
      今すぐどうこういう問題ではないんだけれど…。
      要経過観察やね。 土曜日は仕事休み?」

 私:「出勤です。 何故ですか?」
 F先生:「土曜日、丁度、脊椎専門のW先生が見えるんだよ。
      多分、同じようなことを言われると思うけど、
      彼の意見も聞いてみた方が良いかもしれない。」
土曜日、W先生の診察。 やっぱりF先生と同じご意見でした。
F先生の後日談。
W先生、私と同じで初対面だとぶっきら棒な性格らしい。
お医者さんも人間なんだなぁとちょっと嬉しかったりする

“師(お坊さん)も走り回る忙しさ”
左京亮の12月はこうして足早に過ぎ去っていった。

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12月、痛くても欠勤できないぐらいに忙しい日々。
帰宅は大抵22時~23時。 日付が変わることもあった。
それでも比較的暇な日を縫って遅刻→病院へ寄って出勤。
症状は一進一退を繰り返す。
   1日1歩 3日で3歩 3歩進んで2歩下がる♪
………2歩以上下がりよるような気がせんでもない

12月15日
 私:「先生、先週すごく痛い日がありました。」
 F先生:「先月、保険屋さんと会った時に話したんだけど、
      事故から半年以上経過してしまったけど、一度MRI撮ってみようか?
      本当はもっと早くに、事故後直ちに撮ってた方が良かったんだけど…
      ■■整形外科が撮ってくれてなかったもんなぁ。
      私だったら初診の時点で撮る!!」

今更嘆いても仕方ないのだが、腕の脱力を気のせいだと片付けられたこと。
3ヶ月以上は診ない。
転院の際、紹介状を書かないで良いとかおっしゃる非常識さ。
そしてMRI。
…大体、3ヶ月しか面倒みないってどういうこと?
鞭打ちを治せる自信がないのだろうか?
治せなかった時に国立大卒業のプライドが傷付けられるのだろうか?
それとも、長引いた時、後遺障害診断書を書きたくないのだろうか?
いや、書けないのだろうか?
病院に疎く整形外科はどこも同じだろうと思っていた無知な私も悪いのだけど、
それにしても■■整形外科は藪だった。 いやいや密林かもしれない(爆)
言ってやった、言ってやった
やめられない、止まらない(笑)
名前を伏せているのをいいことにもう言いたい放題
左京亮のことを大人しいと思っているそこの貴方!!
すっかり騙されておりますねぇ
兎にも角にも、もう2度と敷居を跨ぐことはあるまい

オッと脱線。 軌道修正。
 F先生:「うちにはCTはあるけど、
      MRIがないからT脳神経外科に撮りに行ってもらうことになるよ。
      時々バージョンアップしてるから比較的新しいMRIで撮ってもらえるよ。
      看護婦さん!! 予約をとってあげて。」
 看護師さん:「左京亮さん、いつがご都合よろしいですか?」
 私:「仕事は何とかしますのでいつでも。」
看護師さん、T脳神経外科に電話。
 看護師さん:「ちょうど、今日、空いてるそうです。 どうします?」
 私:「お願いします!」
…ということで、突然MRI検査することに。
予想外な展開。
大遅刻確定なので、改めて会社に電話→T脳神経外科へ移動。

T脳神経外科。 30分ぐらい待っていたかな? とうとう私の順番が回ってきた。
初めてのMRIに緊張。
金属が付いてるといけないらしく、渡された検査着に着替える。 検査室へ。
テレビでしか見たことのないトンネル状の巨大な装置が目の前にあることにちょっと感動。
耳栓を渡され横になる。 頭との隙間にウレタンだか何だかを詰めこまれる。
更に顔に蓋をされる。 いざ出陣
隧道に吸い込まれてゆく。
GAGAGAGAGA… ゴゴゴゴゴ… ぴーーーーーっ… ドドドドド…
噂には聞いていたけれど
約15~20分後、ようやく工事現場さながらの騒音から開放された。

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8月下旬。 事前に最寄整形外科に転院の手続きのことについて尋ねたら、
書類も何もいらないだろうというお話だった。
転院先の病院を決めあぐねていたが、
母の友人から「リハビリがある病院が良いよ。」というアドバイスを頂き、
マイミク土井丸さまや母の友人から教えて頂いた
自宅から3km程の隣町のK病院に移ることにした。

9月1日朝、その日休みだった私はK病院に電話。
やはり紹介状が必要らしい。
素人ながらにおかしいとは思っていたのだが、案の定だった。
だから書類の必要性を確認したのに!!
それまでどのような治療を受けてきたかも分からない氏素性の知れない
患者を診るはずがないのだ。
最寄整形外科に紹介状をお願いすると今日は無理だとのこと。
紹介状いらんって言っておいて、朝電話して今日は無理…。
我慢、我慢。 不満はあるが、そこはオトナな(?)左京亮
できるだけ早めにお願いしますと言って受話器を置いた。
午後、置き去りにしていた携帯に留守電が入っていることに気が付いた。
急ぎ最寄整形外科へ診断書をもらいに行く。
16時過ぎていたか? K病院へ。 ぎりぎりセーフ!!

F先生が紹介状を手に取られた。
すると…
 F先生:「変わっとるねぇ。 整形外科から整形外科に転院ってどういうこと?」
 私:「はぁ…交通事故は3ヶ月以上診ないと言われてしまいました。」
視力0.5の私の目にその内容は見えない。
しかし、紹介状という物を見たことがない私にも、その紹介状は滑稽に思えた
 F先生:「なるほど。 事情は分かった。 でも、それも変わっとるねぇ。
      それにしても…この字、大きいね(笑)
      この先生はおじいちゃん?」
そう、あからさまに字が大きいのである。
 私:「60歳ぐらい…かな?」
 F先生:「私の方が大分若いね!

 F先生:「事故前に首が痛かったこととか、
      首が痛くて病院にかかったこととかある?」
 私:「いいえ!! 全くないです。」キッパリ。

整形外科にかかったことと言えば…学生時代の突き指や捻挫。
社会人になって、10年以上前に腱鞘炎。
コック修行を始めて足底腱膜炎。 そして、忘れもしない2月2日のぎっくり腰。
金欠で首が回らないことはあっても
(有り余るお金は無いけれど、なんだかんだ何とかなっている巳年な私)、
首を負傷したことがないことは自信をもって言える。
レントゲンを撮ると、やはり先天的骨格のことを指摘された。
「多分、このせいでダメージが大きかったんだと思うよ。」

ゴムハンマーで脚気みたいな検査をされて、首や腕が回るか確認。 
生まれつき首の可動範囲が狭いらしい。
首や肩・背中をTシャツ越しに触診。
 私:「痛っ!!」
 F先生:「硬いねぇ。 左もだけど、右もカチコチ。」と驚かれてしまった。
その日は遅かったので、ロキソニン(鎮痛剤)、アランタSF(胃薬)、
メコバラミン(ビタミン剤)、チザニン(筋弛緩剤)、葛根湯、ロキソニンテープを頂いて帰宅。


9月3日、リハビリ開始!!
ホットパック、低周波治療器、ウォーターベッドマッサージ、療法士さんのマッサージ。

今までとは比べものにならない至れり尽くせりな治療に嬉しいながらも困惑

10月21日、K病院に通院しながら鍼灸院での治療開始。
保険屋さんに相談すると、治療費は保険から払えるとのこと。
しかしながら、1月8日分をもって保険による鍼治療は終了。
理由は、保険屋さんのミス。 F先生の許可が必要だったこと。
F先生に相談。
 「駄目とは言わないけど…。 痛みが治まるのは数日じゃないかな?
  根本的に痛みがなくなることはないよね?」とのお返事。
確かに…。 それでも、月に2~3度、痛みに耐えかねた日は自腹で通う。

11月、相手側保険屋(ケガ担当)さんから電話。
 保険屋さん:「そろそろ半年になりますので、この辺りで症状固定→
 後遺障害申請をお願いできませんでしょうか?」

 私:「先生にお伺いしてみます。」
次の診察、保険打ち切りの件を先生に相談。
 F先生:「いずれはそうしないといけないだろうけれど…。
      うちに来て2ヶ月とちょっと。 まだ打ち切りは早いよ。
      保険屋さんに病院に出てくるように言っておいて。
      私が直接説明するから!!」
頼もしい そして、F先生って熱血なのかもしれない(笑)
おかげさまでもう少し治療を続けられることとなりました。
 F先生:「保険屋さん、悪い人ではなかったよ。 良かったね。」
      …そう言えば、葛根湯って前の病院でなんでもらってたの?」
 私:「肩の血行を良くするためらしいです。」
 F先生:「葛根湯って、知ってると思うけど風邪薬だよ。
      長期間飲む物じゃないよ。 薬を変えよう!」
11月24日、葛根湯→芍薬甘草湯へ変更。

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ところで、5月31日、パジェロミニが帰ってきた。
コーナーの1番硬いところが凹んでいたために元に戻すのが大変だったそうだ。
叩き伸ばしたであろう歪みがタイヤハウスの方にかすかに認められる。
コーナー樹脂バンパーは新品に交換されていた。

私も動いていたために、過失割合は20(私):80(加害者)という。
でも、逃げられて、鞭打ちになって、20:80では納得できない。

そして、こちらの保険(車両)担当者は催促しないと、たま~にしか連絡をよこさない。
オイオイやる気がないのかい?
はたまた、加害者に脅されているのかい?
挙句の果てにはどちらの保険屋なのか分からないことを言い出すし始末。
よくそんなんでお給料もらっているなぁ。 私の眉間に皺が寄る。
仕方なく、相手に直談判。 加害者の父親が発した言葉は
「診断書は取り下げるんやろうなぁ。」だった。

何様なんだ? 加害者様?
これではどちらが被害者だか分からない。 ちっともお話にならない。
あとから分かった話…同乗者はいないと言っていたが、
実は彼女を乗せていたらしい。 逃走→彼女を降ろし→現場に戻ってきた。
お巡りさんにも私にも嘘をついていた。

そんなこんなで、20:80なんて無理!!
いくらお人好しな左京亮(自称)でも断じて受け入れられない。
加害者にも保険屋にも腹が立つ。 堪忍袋の緒が切れた。 
その後、何度か保険会社の上司にお願いして担当者を変更してもらうことになる。

今度の担当者さんはきちんとお仕事をしてくださっているらしくて、
定期的にお電話をくださった。 なかなか好印象。
ただ、やはり相手が悪いらしく、てこずっておられるご様子であった
そして…「左京亮さんは弁護士特約を付けておられますので、コレを使いましょう!!
     最悪裁判になることも考えられますが、弁護士の名を出せば
     驚いて引き下がるということも十分考えられます。」
男前なX氏は仕事も出来る
Xさんと弁護士先生に頑張って頂いた。

それからしばらく…。
Xさんから電話「相手保険車両担当の方が10(私):90(加害者)で良ければ、
加害者を無理矢理でも説得します。…とのことですが、いかがいたしましょう?」
 私:    「少し考えさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
少し…が経過。
加害者側保険屋さんと加害者との間で既に話がついていた…と考えられないことはない。
しかし、これを断れば更に話が大きくなる。 事を荒立てることになる。 裁判沙汰になる。
10:90…不本意ながら妥協することにした。

事故から4ヶ月。
9月も二十日を過ぎた頃、1通の封書が届いた。
物損の示談書だった。

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06年08月14日~
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