翌日、2月5日。
お借りしていたMRI画像とS准教授からのお手紙を持ってK病院へ。
F先生:「待たされたやろう?
私も母を連れて行ったことあるけど、
やっぱり4~5時間待たされたもんねぇ。
ところでどうだった? 何か検査してもらった?」
私:「先生と同じご意見でした。 検査という検査は何も。」
もしかするとF先生も何かの検査をほんの少し期待されていたのかもしれない。
それが何なのかは知識がない私には分からないし、そもそも私の勝手な推察でしかない。
F先生:「私宛の返事見ていいよ。 別に隠すようなものじゃないし。
鞭打ち含めて、やっぱり定期的に診るように書いてあるね。
保険治療が終わっても、引き続き私が診るからね。
S准教授は手術の腕がいいんだよ。
万一に備えて大学病院のカルテも手に入れたし大丈夫。」
■■整形外科には見捨てられてしまったけれど、捨てる神あれば拾う神あり。
藪先生から見捨てられて良かったと思う今日この頃。
そうしなければ、あのままズルズルと通い続けただろう。
片やF先生はお医者さんとしての義務と責任をしっかりとお持ちのようだ。
さすがK病院の理事長先生。
2月7日、保険屋さんから電話。 今月末にて治療打ち切り宣言。事故から9ヶ月が経とうとしている。
昨年11月に一度は打ち切りの話を持ちかけられ、今まで延長して頂いたのだ。
完治は程遠いけれど、潮時かもしれない。
2月9日、後遺障害診断書の用紙を持ってF先生に相談。
F先生:「職場は大丈夫そう?」
私:「ちょこちょこ連絡してます。 今日もこれから電話する予定です。
1月よりはマシかな~?とは思っています。
これから約2週間後、下旬を目処に復帰を目指そうと思っています。
ところで、先生…。
昨日、保険屋さんから電話があって、今月で終わりと言われました。」
F先生:「左京亮さんはどうしたい?」
私:「先生のご意見に従います。」
F先生:「じゃあ、次の診察日を23日にしよう!!
その時の調子を診て判断しよう。
良さそうなら今月で症状固定にするし、必要があれば…3月末。
無理なら上旬まででも延長してもらえるように保険屋さんに話してみるから大丈夫
ただね…後遺障害診断書は精一杯書くけれど、
認定されるかどうかが問題だね…。」続けてF先生。
「職場だけはクビにならんようにね
保険屋さんは私が何とかできるかもしれんけど、職場だけはどうにもしきらんから。
それと、復帰してもくれぐれも無理はしないように
仕事中着けるのは無理かもしれないけど、
頚椎カラー(首を固定する装具。鞭打ちの人が付ける首輪みたいな物)は
いつも持ち歩いてね。」
今月で保険治療が打ち切りになっても構わない。
私には鞭打ちと病気を理解してくださる心強い味方がいる
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